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「こんな時に馬鹿な選挙。民主党の親分も利口じゃない」 父・角栄氏の命日に落選した田中眞紀子氏の戦い。

人物
真紀子節 s-田中角栄

 
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■business.nikkeibp 2012年12月20日(木)
「こんな時に馬鹿な選挙。民主党の親分も利口じゃない」
父・角栄氏の命日に落選した田中眞紀子氏の戦い

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121219/241277/?P=1
「あの話し方、手振りは角栄先生そっくりです」。

投票日を翌日に控えた12月15日。新潟5区。田中角栄元首相のお膝元となる新潟県長岡市では、各候補が激しく火花を散らしていた。

角栄氏の地盤を継ぐ田中眞紀子・文部科学相は2009年同様、今回の衆院選でも民主党から出馬。彼女に対抗するのは、3人の候補者だった。1人は、比例代表からくら替えした自民党の長島忠美氏。2004年の新潟中越地震当時の、旧山古志村の村長だ。そして日本維新の会新人の米山隆一氏。米山氏は2009年衆院選で自民党から出馬。約2万票の僅差で田中氏に敗れていた。残る1人が日本共産党の服部耕一氏だ。

「長島さんの演説は角栄先生そっくり」

選挙戦も終盤を迎えた新潟5区の焦点は、父・角栄氏の地盤を継ぐ眞紀子氏と、地元の自民支持基盤を押さえる長島氏の一騎打ちという様相が強まっていた。

「おらの手を見てください。みなさんと一緒で、大きくて厚っつい。百姓の手なんです。この手でスコップ持ったり、くわ持ったりしてる。雪のひゃっこさも、重さもよーくわかる。だって百姓だから。百姓だからこそ、雪国の暮らしを良くしたいと、心から思っているんです。雪国の農家を守ることが、大事なんです」

長島氏が選挙カーを降り、右手を挙げて叫ぶと、観衆からは一斉に拍手が起こる。この演説を聞いた有権者の1人が、ポツリと冒頭の言葉をつぶやいた。「長島さんの演説は本当に生前の角栄先生そっくり。地元の言葉でしゃべって、地元の人の心に寄り添う。自分らの問題を、この先生なら解決してくれるなって思わせてくれるもん」。

よくよく話を聞くと、彼は決して長島氏の支援者ではないという。普段は、田中家がオーナーを勤める地元企業に勤めている。生前の角栄元首相に会ったことのある彼が、長島氏の演説に、亡き角栄元首相の姿を重ね合わせ、聞き入っていた。選挙戦の最終日、長島氏は40分刻みで計15回の街頭演説を繰り返した。投開票を目前にし、新聞や週刊誌は新潟5区の情勢を「長島有利」と報じていた。

「私の思いがみなさんに伝わっているのは嬉しいですよ。けどね、逆に困っちゃって。(優勢と報じられると)みんなが油断するから。厳しい戦いなんだって言って、最後まで気を引き締めてやってます」。街頭演説の合間、長島氏は記者にこう打ち明けた。だがその言葉とは裏腹に表情は明るく、余裕すら感じられた。

最後の演説に回る長島氏。長島氏の最大の争点が、TPP(環太平洋経済連携協定)の例外なき関税撤廃の反対。「農家を守る」と何度も繰り返していた。同時に、「私はこの選挙戦で、ほかの候補者や対立する党の悪口を言ってこなかった」とも

一方、苦戦と伝えられた田中氏の戦いはどんなものだったのか。選挙活動の最終日、田中氏は3カ所でミニ集会を開いた後、夕方に街頭演説をこなすスケジュールだった。集会出席者の一人ひとりに声をかけ、笑顔で送り出す田中氏。手には包帯が巻かれており痛々しい

父・角栄氏の構想でできたニュータウンでミニ集会

当日、最初にミニ集会が開かれたのは長岡ニュータウンにある青葉台コミュニティセンターだ。このニュータウンは、父・田中角栄氏が首相時代に打ち出した「ニュータウン構想」の一環で作られたという。角栄氏の影響力が色濃く残る地から、眞紀子氏の「最後の戦い」が始まった。

集会場には、午前9時40分ごろから有権者が少しずつ集まり始めた。そして9時54分。選挙カーに乗って田中氏が姿を現した。コーデュロイ生地のパンツにグリーンのセーター、その上に、オレンジ色のジャンパー。手には白い包帯が巻かれていた。数台のテレビクルーと新聞記者が田中氏を迎えたが、田中氏の表情は堅い。「ついに最終日です」という記者の問いかけにも表情を変えない。

「連続当選6回、大臣経験3回。こんな経歴を持つのは田中眞紀子さんしかいません!どうかぜひ、ぜひ7回目。もう1回、当選させてください!本当にお願いします!」

集会所の中からは、こんな叫び声が漏れ聞こえてくる。1時間弱の集会が終わると、田中氏は参加者を送り出すために出口に立った。「これ、みなさん、自分の靴、分かるー?靴、見つかる?間違えないでねー」

上がりかまちに並んだ大量の靴を前に、田中氏が笑顔で注意を促す。

「最後まで頑張ってください」「途中で投げ出した人に負けないでください」「眞紀子さんしかいないんだから」。参加者が次々と声をかけ、田中氏と握手をして去って行く。

全員を見送ったあと、田中氏はテレビカメラの前に立った。「こうやって皆さんの意見を聞けるのも、こうした機会があるからです。みなさんの顔を見て、しっかりと訴えを聞いていきたいと思います」。短くこう話し、足早に去って行く。「手応えは」という問いかけには、「全然分からない」と一言。表情は堅いままだった。

その後は午後1時30分から長岡鳶協会館、午後3時30分から宮内コミュニティセンター分館で同じようなミニ集会を開催。午前と変わらず、田中氏の表情は堅い。「状況は全然分かりませんね。最後までやり抜くだけです。ただ午後からは少しずつ人も増えてきた。少しずつ良くなってるんじゃないですか」。田中氏の選対幹部は口数少なくこう話した。

(雪国での厳しい選挙戦を、田中氏と一緒に戦ってきた若い応援スタッフたち)

午後5時30分。長岡市内でも比較的新しいショッピングモールの一角で、田中氏最後の街頭演説が始まった。複数税率の導入や、弱者に優しい社会の実現、そして自民党批判などを訴えた。特に自民党批判では、対抗馬である長島氏の話題には触れず、自民党総裁である安倍晋三氏への手厳しい追及が続いた。

「今回の自民党だけは絶対に投票しないでください。その理由は簡単です。安倍さんが出てきたから。安倍晋三っていう人は、A級戦犯と言われた岸信介さんの長女、洋子さんの次男です。戦争責任はどうなったんでしょうか」。

「日本は終戦ではなく、敗戦したんです。だから、当時の自由民主党はお利口で、日本は二度と戦争はしないと言ったんでしょう。それが、ひょっこり65年後にオバカな孫が出てきて、もう1回戦争のできる国にしたい。そうすれば尖閣諸島に中国も来なくなる、竹島に韓国大統領がよじ登らなくなる、と。これが、戦争のきっかけなんですよ」。

「安倍さんは、今度民主党を倒したら、もう1度やり残したことがあると言っています。なんで前にやらなかったんですか。安全保障問題でお腹が痛くなったって。また今度お腹が痛くなるかもしれない。今度は頭が痛くなるかもしれない。それでもみなさんは、民主党を見限って自民党がいいんですか」。

「『じゃあ解散。あさって』。誠に運が悪い。間が悪い」
民主党へのいらだちやもどかしさも、演説からにじみ出た。

「撒いた種が花開かないうちに、解散してしまった。子供手当て以外にもいい政策の種を撒いたんだけれども、花が咲かないうちに、野党・自民党がしびれを切らして『解散!解散!うそつき!うそつき!』ってシュプレヒコールをあげた。そしたらあの総理は、『じゃあ、解散。あさって』。誠に運が悪い。間が悪い」。

「景気の悪い時に選挙活動ばっかりやって、政治家が政治をしない。こんな時に馬鹿な選挙なんてやってる民主党の親分も利口じゃないと思います。早くに、しっかりとみなさんが次の方向を出してください。これが民主主義の基本です。逃げずに投票してください。訳の分からない人に1票あげても無駄ですから」。

そして最後には「おらは新潟県のおなごで、越後の白雪姫です。仕事で、新潟県のおなごはすごいなあと思われるように、元気いっぱい仕事をしますから、もっつら票を積んで下さい」と叫び、演説は終わった。言葉だけを見るといつもの田中氏と同じ、歯に衣着せぬ発言だ。だがその表情は時折かげり、言葉にも勢いがない。民主党と自民党を言い間違えることもあった。

最後の街頭演説にはテレビや新聞、雑誌などのメディアが大挙して押し寄せた。有権者も集まり、大きな拍手で田中氏を迎える

「自民党は1兆円の子育て支援を作りました。しかし民主党は2兆3000億円の子育て支援をしている」「雪の中で我慢して暮らしている人々の目を見なきゃダメです。そういう人を切り捨てちゃダメなんです。票が取れないから(限界集落と言われるような場所に)行かないなんて言ったら、政治家できないですよ。そういう人たち、好きなんです、私。人間ってそういうものじゃないですか。だからこそ政治家をやっていけるんですよ」と田中氏。弱者の味方であることを強調した

寒さのためか、厳しい選挙戦のためか。演説を終えた田中氏の目にはうっすら、涙が。演説を終え、再び選挙カーの助手席に乗って、最後のお願いへと向かっていった

12日間の選挙戦が終わりを迎える12月15日、午後8時。JR長岡駅前にある田中氏の選挙事務所には、30分前ごろから、選対スタッフや支援者たちが集まり始めた。だが関係者たちの表情は一様に暗い。厳しい情勢であることが、その様子からも感じられた。午後8時前、事務所に集まった男性たちは、田中氏を迎えるため、ぞろぞろと外に出始めた。

午後8時、田中氏の選挙カーが姿を現すと、男性たちは拍手で田中氏を出迎えた。クルマを降り、支援者たちと言葉を重ねることを期待して、報道陣も田中氏の選挙カーを取り囲む。田中氏も助手席から「ありがとうございます」「お疲れ様でした」と応える。クルマが事務所前で止まった。だが田中氏は降りず、そのまま手を振り、お礼の言葉を重ねながら事務所を後にした。

田中氏の選挙事務所に集まった支援者や選対スタッフの男性たち。押しなべてみな表情は暗い。言葉少なに、椅子に腰掛け、田中氏の帰りを待つ田中氏の到着を拍手で迎える支持者たち。田中氏もそれに応えて感謝の気持ちを伝える。だがクルマから降りてくることはなかった選挙活動が終わった20時過ぎ、田中氏は宿泊している長岡市内のホテルに姿を現した。だがやはり、その表情は堅い。

「大臣、手応えは」。エレベーターから宿泊するフロアへ向かう間際に問いかけた。「ダメ、ダメ、ダメ」。小さくつぶやきながら田中氏は首を振り、エレベーターのドアが閉まった。「マスコミには対応しない」という意味なのか、質問に対する答えなのか。

とにもかくにも、雪国を舞台にした、師走の戦いは終わりを迎えた。

投開票日は父・角栄氏の命日
12月16日の投開票日。

奇しくもこの日は、田中氏の父である故田中角栄氏の命日だった。父から受け継いだ地盤を守りぬくことができるのか――。厳しい選挙戦を終えた田中氏が開票を前に、父・角栄氏の墓前に訪れるかもしれない。墓地は、故・角栄氏の家の敷地内にあるという。

長岡市からクルマで40分ほどで到着する新潟県柏崎市(旧西山町)の田中邸。表札には、「田中直紀 眞紀子」と書かれてある。だが人の気配は一切ない。入り口の雪も積もったままで、人が出入りした形跡もない。近くでは、テレビカメラを抱えたクルーと新聞記者が1人ずつ待っているだけだった。

田中邸近くにある田中角栄記念館も様子は同じだ。午前中だったこともあり、記者が訪れた時の来館者はゼロ。館内に入ると、角栄氏の銅像や書、写真などが並んでいる。体が弱かった母・はな氏の代わりに「ファーストレディー」として角栄氏の公務に付き添う、若い頃の眞紀子氏の写真や、眞紀子と夫・直紀氏の婚礼写真も飾られている。まさに田中家の歴史が、この記念館には詰まっている。

静かなままの田中邸。田中角栄記念館を訪れる人もいなかった

長岡市内のホテルはその日、午後早くから慌しい雰囲気に包まれていた。開票センターとなった宴会場には酒樽が運び込まれ、着々と開票に向けた準備が進む。夕方からは支援者や報道陣の受付が始まり、午後8時から始まる開票に向けてにわかに活気づいてきた。

午後7時過ぎ、開票センターではメディア対応を仕切るスタッフが、報道陣に注意を入れる。「前回(2009年の衆院選)はメディアの方々が殺到して、大変な混乱でした。今回は前回以上に多いですから、くれぐれも秩序を守ってください。話ができないほどフラッシュを浴びせたりすることは控えてください」。

テレビクルーが忙しく中継の準備を進める中、午後7時50分ごろにはスーツ姿の男性たちが整然と列をなし、会場に設けられた「一般席」に座っていく。一様に表情は暗く、言葉を発する人もいない。重い空気が流れるなか、オレンジのジャケットを着たイメージボーイ、イメージガールが着席する。やはり表情は堅く、笑顔を見せる人はいない。

8時1分に落選の報道

会場内に設けられた2台の大型テレビでは、午後7時55分から、NHKの選挙特番が流されていた。時計の針が午後8時を回り、メディア対応スタッフが説明をする。「今回の選挙を支えてくれたイメージボーイ、イメージガールも入場しました。それでは今から……」。

スタッフの言葉が終わらないうちに、突如、会場に大きなどよめきが起こった。

「新潟5区、自民党の長島忠美氏、当選確実です」「開票前ではありますが、NHKの出口調査により、圧倒的大差をつけて、長島氏が当選確実となりました」

午後8時1分。投票を締め切ったわずか1分後に、小選挙区での田中氏落選が報じられた。開票率は0%。まだ開票の1時間前である。一般席に座る男性たちは、食い入るようにテレビ画面を見つめる。だが、どよめきの後には、誰も、何も言葉を発しない。水を打ったような沈黙が一般席を包んでいる。腕組みをして、無表情で画面を見つめる男性たち。

テレビからは、万歳を繰り返すライバル・長島忠美氏の様子が流れる。「あとは比例か…」。後援席に座る男性が、ぽつりとつぶやいた。

小選挙区での落選が報じられた後の開票センター。誰もが静かにテレビ画面を見つめる

「果たして、眞紀子さんは出てくるのか」――。

小選挙区での落選が決まった後、報道陣が最も気にしたのは、田中氏の行方である。「もう、東京に帰ったんじゃないか」「比例の結果が出るまでは出てこないはず」など、様々な推測がなされていた。

「田中先生はいつごろ、出てくるんでしょうか」。こうした報道陣からの問いかけに、ある選対スタッフは目も合わせず、話もしない。ひたすら沈黙を貫き、会場の中と外を行き来していた。

敗戦の弁では一転して笑顔を絶やさず

会場の雰囲気が騒然としたのは、午後9時30分ごろのことだ。田中氏が開票センターに姿を現した。昨日までの険しい表情とは一転、やわらかい笑顔で、支援者にお辞儀をしたり、声をかけたりしながら会場前方へ進んでいく。

「今、テレビ等でご覧になった通りの結果でございまして、私の努力不足でございますが、みなさまから大変熱烈な、とても立派な選挙をさせて頂きまして、心からお礼を申し上げます」。笑顔を崩さず、田中氏は感謝の言葉と、敗戦の弁を続けた。

「3年以上ですね、野党であった(自民)党は、国会での活動を見ても相当焦っておられましたし、民主党がなかなか政権運営に慣れませんで、国民の皆様の意見を吸い上げられませんで、もどかしい思いをされているということは、実感しておりました」

「選挙戦が始まる前から、かつて民主党に大きな風が吹いたように、今回は大きな揺れ戻しで、自民党に大きな風が吹くだろうと。この準備を野党はしてこられた結果だろうと思っております」

「(選挙期間中)3日間、大きな雪が降りました。ですが私は大票田だけではなくて、限界集落と言われるようなところにも足を伸ばして、お年寄りや弱者、皆様の目を見て話を伺って参りました。本当に私は幸せ者という風に思いますし、同時に、政治、人間は大変素晴らしい、すごいもんだなということを、冬の選挙の中で感じてきております」

「とても良い選挙、すごく良い選挙をやってくださったことを、誇りに思いまして、まずは御礼申し上げます」
前日まで巻いていた手の包帯はなく、代わりに手元にはハンカチを持つ

最後には、集まった支援者の足元を気遣う。「まだ比例云々の話もありますが、乱立しているとなかなか厳しいということも過去の例で見ておりますので、また原点から、政治とは何か、生活者がどういうことを政治に希望しているのかということを、冷静に考える時間も欲しいというふうに考えております。遅くなるといけませんので、みなさま足元も悪いですし、今日はできればこれで終わりにしようと思っております」。

これまで自民党や安倍総裁に対して厳しい指摘を続けてきた田中氏だが、挨拶ではこれまでのような批判は出てこなかった。

会場での挨拶を終え、集まった支援者一人ひとりに声をかけていく田中氏。終始笑顔を絶やさない。報道陣による囲み取材には、「もう3問くらいで終わります」と念を押したが、その様子は昨日までの張り詰めたものではなく、淡々と今回の敗戦の弁を述べた。

「民主党が前回、大変な風が吹いて勝った段階からすごい揺れ戻しが今の風潮の中である。よほど民主党がいい政治をしないと、逆のことが次の選挙で起こると思っていました」

「父のいたころは、まあもう時代背景が全然違います。自民党の強固な地盤があった時とは違って、価値観が多様化して少子高齢化した時代とは、政治に対するニーズがだいぶ変わってきている」

「敗因は、民主党のトップがなかなか国民のニーズを吸い上げて、それを前に進めていく力を発揮できなかった。一議員としても普段からもどかしく思っていました」

表情は穏やかで声にも角はない。「もう1点だけ」という報道陣の問いかけには、「もうダメです」と返した。そのまま会場を去ろうとしたが、足を止めてマイクを握りなおした。「それから1回言わせてください。これから全国で当選した方がテレビなどで前向きな意見をおっしゃるかと思いますが、そうした方たちの前向きな意見を聞いてくださるように。ワイドショーから話も来ておりますが、(批判的なコメントは)しません」。きっぱりと伝え、笑顔のまま会場を後にした。

その後、比例での復活も叶わないことが判明し、田中氏の落選は決まった。父・田中角栄氏が初当選してから65年。命日の日に「田中帝国」は終わりを迎えた。投開票翌日の12月17日午前9時30分。報道陣の前に姿を現した田中氏は、前夜と同様、さっぱりした表情で、敗戦の分析や自民党政権の課題、今後の自身の身の振り方を語った。

“内助の功”発揮した直紀氏

当初から苦戦必至と言われた田中氏の選挙戦。ここで際立っていたのが、夫であり参院議員の田中直紀氏による“内助の功”である。選挙戦最終日、午後3時30分から始まった宮内コミュニティセンター分館のミニ集会では、約20分遅れで直紀氏も会場に現れた。最後の田中氏の街頭演説直前には、「頑張るしかないですね」と一言。

街頭演説の場には、眞紀子氏よりも早く現場に着いた。マスコミが殺到し、混乱する現場を見た直紀氏は「これじゃみなさん、話が聞けないでしょ。とりあえずカメラマンの方、下がって。後ろに行って」と現場の整理を始める。集まった有権者には「みなさんどうぞ、前に行ってください。どうぞ前へ。どうぞ」と自ら、前に誘導。眞紀子氏が有権者と握手しやすい環境を整えた。

選挙最終日、ミニ集会や街頭演説に訪れた直紀氏
街頭演説でも、妻をサポートする。眞紀子氏の演説が終わった後、「手短に」と釘をさされながら、直紀氏はマイクを持った。

「田中眞紀子候補は働き盛りでございます。この選挙に勝たせて頂きましたら、政界のリーダーとして日本を正しい道に導くことになると思います。田中眞紀子がいることによって、長岡は発展すると思います。魅力ある長岡市を作っていくために、田中眞紀子候補に必ず1票を、家族の一員として、心からお願いを申し上げる次第です」。

妻・眞紀子氏の応援演説で声を張り上げる直紀氏
妻・眞紀子氏が出た後に1人でホテルの精算作業

選挙活動最終日の午後7時50分ごろ、直紀氏は、田中氏の選挙事務所を訪れる。妻に代わり、集まった支援者に挨拶をし、感謝の言葉を繰り返していた。

「なかなか厳しい戦いだとは思いますが、精一杯頑張りました」。投開票日の朝、直紀氏は前向きな気持ちを打ち明けた。

落選を受けた12月17日、眞紀子氏は午前9時半に宿泊先のホテルを後にした。その20分後の午前10時前、報道陣が去ったホテルの受付で、直紀氏は1人、客室のチェックアウトをしていた。「いや、これは領収書分けてくれる」「こっちは、このカードで」。通常よりも時間のかかるチェックアウト作業を追え、改めて直紀氏は今回の衆院選を振り返った。

「(落選の)結果については厳粛に受け止めたいと思いますが、私も参院議員ですから、これから党の再生については党本部と話をします。(眞紀子氏は)選挙活動について、みなさんが温かく、力強くご支援いただいて活動ができたという感じで言っておりました。結果はともかくとして、本人も力いっぱいできたと申しておりました」と締めくくった。


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